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日本の献体法制化運動を顧みて

 

元篤志解剖全国連合会理事 星野 一正

 

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献体の法制化の最大の貢献者であった(故)高木健太郎参議院議員は「献体とは、実は体を与えることではなくて、捧げようとするその人の生前の心なのであり、未来に亙る愛なのであると思います」と書き残しておられる(大法輪昭和57年12月号110〜111頁)。
昭和54年11月24日、日本学術会議から「献体登録に関する法制化の促進について」という勧告文が政府に提出され、わが国の献体史に重要な足跡を残した。
昭和55年4月、日本解剖学会の解剖体委員会は、山田致知初代委員長から筆者が2代委員長に任命されて改組され、献体の法制化という至上命令を受けて行動を開始した。献体数を増加させるのがわれわれの目的ではなく、「無条件・無報酬で誰にもできる人生最後の愛の奉仕である献体」の一般社会の人々への理解の普及に努めるのが目的であった。
同年5月11日に開催した第1回以来「献体法制化についての勉強会」を重ねた。同年11月30日より篤志解剖全国連合会と合同で全国的な運動を開始した。昭和57年4月6日に第一回献体陳情実行委員会開催し、以後、1年余、成功するまで活発な運動を続けた。
昭和55年10月21日に参議院文教委員会にて(故)高木健太郎議員が、献体問題について国会での最初の質問をされておられ、さらに昭和57年4月30日に参議院文教委員会において、献体者へ感謝状を贈呈するようにと文部大臣に要請された。
多くの国会議員の積極的な協力的な活動を得て、昭和57年7月7日に「自民党文教部会・社会部会正副会長合同会議」が開催され、文部省と厚生省の行政官及び日本解剖学会解剖体星野委員長と篤志解剖全国連合会郡司乕雄副会長とが招待され、その席上、竹内黎一衆議院議員を委員長として「文教部会献体法制定小委員会」が自民党文教部会内に結成された。昭和57年8月10日に「文教部会献体法制定小委員会」は、献体陳情実行委員会と衆議院法制局との第一回打ち合わせ会を開き、法律案要項高木案について意見の交換の後に、竹内黎一委員長は、法制局に高木法案を叩き台として「献体法」の立案を委嘱され、献体法の法案の作成に努力した。
この法案は超党派で衆議院に上程され、昭和58年5月11日に、衆議院文教委員会において、『医学及び歯学教育のための献体に関する法律』が委員長提案として上程され、満場一致で可決された。続いて翌12日には衆議院本会議で可決され、参議院に送られた。昭和58年5月17日に、参議院文教委員会でも超党派で全員賛成であった。その席で、粕谷照美議員(日本社会党)が賛成発言をされた際に「本法案は健太郎法案と議員の間で言われている」と述べられた。昭和58年5月18日に、参議院本会議を通過して本法案は制定され、われわれは運動から開放された。責任者として筆者は、運動の資料を整理して、B3版460頁の「わが国の献体」を編纂し、記録本を出版した。

 

 

 

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